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2013.8.15終戦記念日(68回目) [その他]

今日は68回目の終戦記念日である。幸不幸を言うよりも前提として生きているということが重要だとすると、我々は3分も呼吸できなければ死んでしまうし、水を3日も飲まなければ死んでしまうし、食べ物を30日も食べなければ死んでしまうのだから、空気、水、食べ物は体に近い順番で大切なものだと思うから、生命存在の前提を揺り動かす原発事故が収束しておらず今でも日々大気や海水中に放射性物質を垂れ流している現状は、メディア主導による圧倒的などうでもいい情報の物量によってすっかり覆い隠され、押し潰され、過去のこと、或いはなかったことにされている。そうして原発とそれにまつわる利権は温存されたまま、この狭い国土に54基もの原発を建設し、推進してきた政党にまた政権が戻っているのである。これが現状から目を背ける国民の民意であり、内閣府調査で70%以上が現在の生活に満足していると回答するのを目にすると、その数字に若干の怪しさを感じるけれど、もうこれはたぶん集団が発狂している状態なんじゃないかと考える。昔、若い頃、わが国は民主主義国家であり、国民に主権があり、選挙によって選ばれた国民の代表が民意を反映するべく立法し、統治の仕組みや構造や、税金を支払ったことへの対価である行政サービスなどが変化し、時代に沿って国民がより豊かで快適で健康で文化的に暮らせるようになるということを、ろくに調べもせず妄信していたときもあったが、精査するとリアルはかなりのクソゲーであることが判明してしまったのである。主権国家、独立国家をうたってはいるが、あの戦争で殴りあった相手が、お互いの健闘を称えあい、喧嘩のあとは恨みっこなしねなんてサンフランシスコ講和条約で、わが国の主権は回復し、平等で対等な関係になったなんて嘘は、その後の、政治、メディアを活用した米政権の意向を反映した政権、その政権が生み出す法律、青い目をした世論を誘導、形成する者たち、組織間を移動する人物、金の流れをひとつひとつ追っていけば、おのずと真偽が判明し、あの戦争は、我々がある構造の下部組織に入るための通過儀礼であり、参加国の関係企業に莫大な利益をもたらしつつ、表面的には「鶏のつつき」のようなものだったに違いないと理解できるのである。戦争の本質は決して、常識的に言われているようにイデオロギーの闘いなどでは決してなく、資本の略奪過程に起きる経済行為の、ある状態に過ぎず、いかなる形の戦争が近代になっても、いやむしろ規模としては近代のほうが大規模であるが、決して無くなったりしないのは、戦争だけが独立して存在する事象ではないからだ。戦争をしてはいけない理由は現場が悲惨すぎるからであることは、わが国だけでも、玉砕した島々、壊滅した連合艦隊、沖縄、広島、長崎、各都市への大空襲などの記録を見れば言うまでもないが、我々に実際には主権がない限り、我々がいかにデモ行進しようが、セレモニーで不戦を誓おうが、またいつ戦争状態が訪れても不思議がない状況にある。その準備として我々個人の自由と独立は国家主義のもとに、縮小され、国家の機構に、実際的にあるいは精神的に接続しようとする試みが、繰り返されるのである。戦争そのものの質について考えると、また別の角度からも見えてくる光景があり、それは端的に言うと、わが国はすでに戦争状態にあるということなのだけれど、それについてはまた、機会があれば・・・と思います。

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